毎年8月になると、なぜか「零戦」がSNS上に話題が上がってくる。かつて、「仮想戦記」がブームになった時、カバー絵に零戦が描いてあれば、売り上げがアップしたと言われるくらいである。そして、現在でも絶大な人気があると言える。
ゼロ戦、零戦などと呼ばれているが、これらは通称であり、正式名称は「零式艦上戦闘機」である。太平洋戦争敗戦前まで日本で使われていた皇紀2600年の末尾の零が由来である。(皇紀は、初代神武天皇の即位年を起源とする年代表記)
旧日本海軍の主力戦闘機として各地で戦ったことから、日本を代表する戦闘機となっている。
もともと零戦は航空母艦で運用される艦上機として開発されたl。ところが、当時の日華事変で日本海軍の大型陸上攻撃機・96式陸攻が大きな被害を受けていた。これは当時の海軍の主力戦闘機である九六式艦戦の航続力が不足し、大型爆撃機を護衛できなかったためである。このため12試艦戦(この場合の12は昭和12年の意)としてまだ試作段階の機体を、急遽零戦11型として採用し、当時の中国戦線に投入した。この結果、出撃した13機の零戦は、27機の敵機を全機撃墜するという華々しいデビューを遂げたのである。
このドラマチックなデビューから大戦期の華々しい活躍、そして、最後には特攻機として悲劇的に使われるというドラマチックな展開が日本人の琴線に触れたためかもしれない。
さて、時々、SNSなどで日本でも独自技術を生かした国産戦闘機を作れ!などどいう主張を目にすることでも判るように、技術的な視点から零戦の特徴が理解されているとは言い難い状況である。そこで、今回は、零戦に使われている意外な技術について述べてみたい。
A.零戦の特徴
零戦の特徴は、小型軽量という機体の特徴を生かしたドッグファイト能力とそのための強力な20ミリ機銃を最初から搭載し、さらに当時としては異例の長距離航続能力を持っていることである。
この特徴を生かすことで、開戦初期には、台湾からフィリピンへ空襲する爆撃機を護衛するといった任務に使われ、敵機を圧倒するという大活躍を見せた。
この零戦の優れた性能を支えた技術は以下のようなものがある。

B.技術分析
零戦の三大特長を支えた技術を改めて抜き出すと下表のようになる。
1.機体の軽量化設計
2.20ミリ機銃
3.光像式照準器
4.自動ピッチプロペラ
5.無線方向探知機
6.操縦ケーブルの剛性低下
これらの詳細について見て行きたい。
1.機体の軽量化設計
戦闘機の性能を示す指標として翼面荷重と馬力荷重がある。翼面荷重は、機体の全備重量(機体に何も搭載していない重量に規定の量の燃料、オイル、弾薬等を搭載して戦闘可能にした時の重量)を主翼面積で割った値である。この値が小さい程、水平飛行での旋回半径が小さくなり、空中戦で優位に立てる。
馬力荷重は、機体の全備重量をエンジン出力で割った値である。この値が小さいほど上昇性能が良いことを示し、同じく空中戦で優位に立てる。現在のジェット戦闘機では、ジェットエンジン推力を機体の重量で割った「推力重量比」という指標が使われている。
この翼面荷重と馬力荷重の関係は一見別のようだが、実は全備重量を基準としているため、機体の重量が軽いほど有利である。一方、装甲等の装備を追加して機体重量が増加しても、エンジン出力である程度補うことができる。
下のグラフは、第2次大戦中の代表的な戦闘機について翼面荷重と馬力荷重の関係を示したものである。機体ごとにある一定の関係が見えてくる。

一番左側の直線には、隼Ⅰ型、零戦11型、Bf109B1が並び、格闘戦重視の軽戦闘機である。逆に、一番右側の直線には、雷電21型、疾風、Fw190D9、P47Nが並び、上昇力重視、もしくは戦闘爆撃機的運用の重戦闘機である。最高のレシプロ戦闘機といわれるP‐51マスタングは軽戦闘機と重戦闘機の中間的な位置付けである。このように機動性重視の軽戦闘機にするか、大出力エンジンで戦闘爆撃機的運用にするかで、機体の特徴がでてくる。大雑把に言って、グラフの傾きが大きければ軽戦、傾きが小さくなれば重戦ということができる。
このように、空戦性能を高めるには、機体の軽量化、あるいは、大出力エンジンの搭載すれば良いことになる。現在の日本の自動車エンジン技術は世界トップクラスであるが、戦前の日本では、エンジンの技術は欧米より大幅に遅れており、大出力エンジンの搭載自体が困難であった。必然的に、戦闘機設計では機体の軽量化に向かうことになる。また、機体の軽量化は省エネルギーに繫がり、航続距離の向上にも直結するので一石二鳥である。
さて、三菱重工名古屋航空機製作所の設計技師にして零戦の設計主務者であった堀越二郎の零戦開発方針は、「1グラム単位まで徹底的に軽量化する」というものである。具体的には、強度に関係のない部分に肉抜きの穴を開けるというものである。堀越技師が部下が書いた図面をチェックしたところ、肉抜きできる箇所を発見した。その部分に肉抜き穴を開けるように指示したところ、当の部下は、「こんなところに穴を開けても1グラム程度しか軽量化できません」と反発した。すると、堀越技師は「強度計算して問題なければ、たとえ1グラムでも軽量化したまえ」と言ったそうだ。
また、零戦の強度試験機が空技廠で行われたのだが、計器盤の強度が規定を達していないことが判明した。すると、立ち会っていた技師は、「計器盤には計器が付くのだから、計器装着状態で試験して欲しい」と要求し、空技廠の技師が計器を取り付けて強度試験を行ったところ、強度上の問題はなかった。海軍の技師は堀越技師の思想が設計チーム員ひとりひとりに浸透していることに感心したという。
この徹底的な軽量化の結果、零戦は同時代の他の戦闘機を圧倒する空戦性能を得たのであるが、その代償として、零戦のコックピット周りには防弾装備が一切なされていない。もっとも、これは開発側の責任と言うより、発注側の海軍が要求していなかったためであるが……。
ここで、致命傷となりやすい操縦席後方の防弾板についてみると、メッサーシュミットBf109(1934年開発開始、1936年初飛行)では厚さ10ミリの鋼板、フォッケウルフFw190(1937年開発開始、1939年初飛行)では厚さ12ミリの鋼板である。一方、零戦に防弾装備がされたのは、改良型である52型(1943年から生産開始)からで、それ以前のタイプ(12試艦戦)防弾板はない。零戦のライバルに当たるグラマン社のF4Fワイルドキャットにも量産初期は付いていなかったが、現地要望で防弾鋼板が付けられた。
行き過ぎた軽量化の反動は他にもあり、機体強度の低下という重大な問題を引き起こしている。第2次大戦初期の戦闘機の最高速度は時速500~550キロメートルであるが、急降下になると話が変わる。零戦のライバルであったアメリカ海軍の主力戦闘機F4Fヘルキャットの場合、急降下すると時速900キロメートルにも達するのに対して、零戦は時速700キロメートル程度であり、急降下するF4Fを追尾できなかった。
また、零戦の代名詞20ミリ機銃であるが、元々発射初速が遅いため弾道の直進性が悪いことに加えて、発射時の反動で主翼がよじれるため、遠距離ではほとんど命中しなかったという話もある。このため、ベテランパイロットは、できるだけ接近して射撃することを基本にしていたそうだ。
以上のように、零戦の軽量化設計は堀越技師を始めとする技術陣の苦心の結晶であるが、防弾性能の不足、急降下性能の不足、機銃プラットホームとしての能力不足といった弱点も合わせ持っていたのである。
2.搭載機銃
戦闘機とは、機銃を発射するためのプラットフォームである。零戦には当時では一般的な装備である7.7ミリ機銃と、同じく当時では珍しい大口径の20ミリ機銃が搭載されている。このうち7.7ミリ機銃は、正式名称「毘式七粍七固定機銃」と呼称され、イギリス・ビッカース社製7.7ミリ機銃(303口径)で、ビッカース社から製造権を買ってライセンス生産したものである。
一方、20ミリ機銃は、「恵式二〇粍固定機銃一型(後、昭和16年に九九式二〇粍固定機銃一型と改称)」と呼称され、スイス・エリコン社から製造権を買ってライセンス生産したものである。当時の戦闘機用機銃は12.7ミリ(2分の1インチ)が主流であったのに対し、零戦が20ミリ機銃を装備したのは、大型爆撃機への攻撃を想定したためと言われている。通常の12.7ミリ以下の機銃弾は通常、金属の塊であるが、20ミリ機銃弾の大きさになると、弾丸内部に炸薬と信管を装着することができ、着弾すると炸薬が爆発するため、命中時の破壊力が大きい。当時、日本海軍は陸上攻撃機に大型魚雷を装備し、空飛ぶ魚雷艇として対艦攻撃に使用する戦術を採用していたが、当然、仮想敵である米海軍も同様の戦術を取る事を想定しており、その対策として採用されたのが20ミリ機銃だったのである。ちなみに、マレー沖海戦で英戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈したのは、96式陸攻、1式陸攻といった陸上爆撃機による魚雷攻撃であった。
零戦と言えば、20ミリ機銃と言われるくらい代表的な存在であるが、搭載火器は外国製品のライセンス生産品だったわけである。
※ 旧日本陸軍では、口径12.7ミリまでを機関銃、それ以上の口径のものを機関砲と呼
んでいたが、旧日本海軍では、口径に関係なく、全て機関銃と呼称していた。
※ 後に日本陸軍では、空気の断熱圧縮作用を応用したシンプルな信管の開発に成功
し、12.7ミリ弾でも炸薬を充填できるようになった。
3.光像式照準器
戦闘機の目的は敵機を撃墜することである。そのためには搭載機銃を正確に命中させるための照準器が必要となる。陸軍の一式戦闘機『隼』、二式戦闘機『鍾馗』のような同時期の戦闘機は、操縦席前方に大型の望遠鏡を突き出していた。照準時にはパイロットが接眼レンズを覗き込む姿勢となるため、後方からの攻撃に備える事が困難であった。また、風防全面のガラスから突き出す形のため空気抵抗が大きいうえに、前面のレンズに汚れが付くと対応できないという問題があった。さらに、照準用の十字がレンズ上に彫り込まれていたため、パイロットの眼には黒い十字として映るため、薄暮時には十字が見えず、照準できないという弱点があった。

【眼鏡式照準器】
この問題を解決するために開発されたのが光像式照準器である。コックピット前面に45度傾けたハーフミラーを置き、下から十字形をレンズで投影するという構造である。

【光像式照準器の原理】
パイロットの目には無限遠上に光る十字が映し出されるため、薄暮時でも照準が可能となる。何よりパイロットの操縦姿勢が変わらないため、後方の監視も(一般的に戦闘機には、風防の窓枠に後ろを見るための後写鏡が付いている)容易となる。さらに、コックピット内に納まるため空気抵抗源ともならない。

【光像式照準器】
零戦はこの光像式照準器を日本の戦闘機で初採用したのだが、実は、この照準器は研究用に輸入したドイツのハインケルHe112単座戦闘機に装着されていたRevi3を無断コピーしたものである。富岡光学機械製造所で開発が進められたデッドコピー品は、昭和13年12月に完成して98式射爆照準器と命名され、翌4月1日に初飛行した十二試艦戦に装備された。零戦の搭載火器が外国製のライセンス製品だったことは前にも述べたが、この光像式照準器の場合、違法コピーのパクリ品だったわけである。
4.自動ピッチプロペラ
自動車は速度(走行抵抗)に応じて、エンジンと駆動輪の間を繋ぐトランスミッションの減速比を変更し、常にエンジン出力を最適に保つ必要があるが、プロペラ式航空機の場合、この自動車のトランスミッションに相当するのが、プロペラのピッチである。
ライト兄弟から第一次大戦の頃までは木製の削り出しプロペラだったため、ピッチ変更はできなかった。自動車で言えば、ローギヤだけで走るようなものだったのである。
やがて、プロペラピッチを2段階に変更できるものが登場し、さらにその完成形としてエンジン出力に応じて無段階に可変できるようになり、完成形として、パイロットの操作が不要な全自動式の可変ピッチプロペラが登場した。これが「定速プロペラ」と呼ばれるものである。この定速プロペラを開発したのがアメリカのハミルトン・スタンダード社で、日本海軍機では、友金属工業が製造権を取得して、国内で製造していた。
零戦の長距離飛行能力のひとつとして、この定速プロペラの効果が上げられるが、これも外国の技術頼みだったということである。
5.無線方向探知機
目標物のない洋上を飛行する、艦上戦闘機、艦上攻撃・爆撃機が母艦に帰投するための方法として、母艦が発信する電波を受信してその方位を表示する方法がある、そのための装置が無線方向探知機である。
当初は米国のFarchild社製の無線方向探知機を輸入して使用していたが、開戦によって輸入できなくなったことで国産化された。当初装備された輸入機材はクルシー式空3号無線帰投方位測定機と呼称されていた。ただし、実際に使用した搭乗員の話では、国産より米国製の方が性能が良かったとの話もある。

【無線帰投方位測定器の指示部分】
6.操縦ケーブルの剛性低下
自動車を運転すればわかるが、低速で車庫入れする時と高速でカーブする場合では、ハンドルの切れ角が違う。低速の場合ほどハンドルの切れ量が大きく、逆に高速でカーブする場合にはハンドルの切れ量が小さい。
この速度とハンドル切れ角の関係は、飛行機の場合でも当てはまり、離着陸など低速の場合には、昇降舵の作動角を大きくする必要があるため操縦桿を大きく動かす必要があるが、高速で旋回する場合には昇降舵の作動角が小さくて済むので操縦桿の操作量も小さくなる。
それでも、第一次大戦時の複葉戦闘機ならば、最高速度も時速190キロメートル程度だったので、この操縦桿操作量の差はそれほど問題にはならなかったが、戦闘機の性能が向上し、最高速度が上がってくると、この速度差による操縦桿の操作感覚のズレは無視できないものになってきた。なんといっても、地上を走る車と違って、空の上は速度変化を視認する目標がないからである。
特に零戦のような艦上機は、波で揺れる狭い空母の飛行甲板に着艦するため、低速時にパイロットの意のままに機体を操れる性能が求められるのである。
実際、零戦試作機が完成し、テスト飛行に移った頃、パイロットたちからこの問題を指摘されるようになった。
さて、現在のジェット戦闘機の操縦系統は、フライバイワイヤシステムと呼ばれるものである。パイロットが操縦桿を操作すると、その操作量は入力角センサにより電気信号に変換されて、機体を制御するコンピュータに送られる。コンピュータは飛行速度、飛行姿勢などの条件を演算プログラムに加えて最適の操舵量を計算し、サーボモータに信号を送り、昇降舵や方向舵が最適の作動量となるように制御する。この時の作動量を測定する基準が出力角センサである。つまり、入力角センサの値と出力角センサの値が1対1で比例させるのではなく、速度や機体にかかる荷重により、1:Nの比率で自由に変更できるのである。フライバイワイヤでは、速度差による操縦桿の操作量は自動的に補正されるため、パイロットは特に操作に神経を使う必要はない。

【フライバイワイヤ概念図】
しかし、この当時の、操縦桿は方向舵や昇降舵がケーブル(鋼索)やロッド(金属棒)でダイレクトに接続されているため、そのような制御は不可能だった。
この問題を解決するため堀越技師が考え出したのが、「操縦ケーブルの剛性を低下させる」というアイデアである。一般にコックピットにある操縦桿を前後に動かすと水平尾翼にある昇降舵が連動して動くようになっている。通常、操縦桿と昇降舵とは丈夫なケーブル(鋼索)で連結され、操縦桿の操作量と昇降舵の作動量が完全に一致するようになっている。堀越技師が考えたのは、このケーブルの剛性をわざと弱くするというものである。
離着陸時、速度が低い場合には、昇降舵に当たる風圧(動圧)も低いため、昇降舵は操縦桿に完全に連動して動く。

【ケーブル剛性低下 低速時】
一方、高速飛行時には、昇降舵に当たる風圧(動圧)が大きくなるため、操縦桿を大きく引いても風圧(動圧)による抵抗分だけケーブルが伸び、昇降舵の動きは小さくなる。
つまり、速度差によって生じる昇降舵の風圧(動圧)変化で生じる抵抗をケーブルの伸びで吸収することになる。この結果、操縦桿の操作量が低速時の効きに合わせて大きく動かしても、高速時には昇降舵の作動角を小さくすることができるのである。

【ケーブル剛性低下 高速時】
零戦試作機にこの改修案を使ってみると効果は絶大で、試乗したパイロットたちから絶賛された。この結果、この操縦ケーブルの剛性低下方式は零戦を特徴づける技術のひとつとなった。戦後、主任設計者の堀越二郎技師は、戦後にこの操縦ケーブルの剛性低下について学位論文を書いている。
さて、では類似の技術はないのだろうか?
同じ日本海軍の戦闘機である川西航空機(株)製の紫電(および紫電改)には、腕比変更装置という機構が使われている。
これは川西技術陣があえてマネはしない、という方針で、独自技術を追求したためである。先に操縦桿と昇降舵はケーブルで繋がっていると書いたが、厳密には、機体内部でケーブルの方向を変えるためのリンク機構を介してである。このリンク機構の支点、力点作用点の関係を変えることにより、操縦桿と昇降舵の操作量(操作比率)を変更することができる。川西技術陣は、この支点の位置を低速時と高速時の2段階で切り換えることにより、操縦桿に対する昇降舵の作動角を可変できるようにしたのである。

【腕比変更装置】
また、ドイツ空軍戦闘機フォッケウルフ社のFw190では、リンク機構の支点自体を可変式にしており、昇降舵にかかる風圧(動圧)に応じて支点が移動することで、操縦桿の作動量が大きくなっても昇降舵の作動角は小さくなるという同様の効果を発揮させるシステムを採用している。

【Fw190操舵力軽減装置】
C.まとめ
こうして見ると、1~6つの特徴のうち、実に3分の2が海外由来である。さらに、最大の特徴である機体の軽量化設計も、海外では当たり前の防弾装甲板がまったくついてないなど、設計技術の特徴ではあっても、優れた特長とは言えない。

さらに、スイス・エリコン社製20ミリ機銃のように正式なライセンス生産品を使用するのは問題ないが、光像式照準器の違法コピー品の採用はとても褒められたものではない。
もっとも、搭載した艤装品については、堀越技師の責任というより、発注側の海軍の責任ではあるのだが……。
逆に、操縦ケーブルの剛性低下方式は、操縦性の改善と言う意味では、画期的な方式と言える。シンプルながら優れたアイデアといえる。特に川西飛行機やフォッケウルフの機械的な構造に対して、シンプルながら実に優れてアイデアである。アリューシャン島で不時着した零戦が米軍に鹵獲され、米軍のテストパイロットがその操縦性に驚いたという話すらある。
零戦はたしかに第2次大戦前半に活躍し、当時を代表する日本戦闘機ではあるものの、実態は、海外技術に依存しており、決して純国産戦闘機ではない。最強の国産戦闘機などと無条件に絶賛するのではなく、その技術的内容について理解を深めることも大切ではないだろうか。
補足:フォッケウルフFw190の腕比変更装置の図解を基に模型を作って動きを調べたのだが、うまく作動しなかった。もう少し研究してみてメカニズムが完全に解明できたら、図を差し替えたい。
◆ 参考文献
・アナタノ知ラナイ兵器6 こがしゅうと
株式会社 大日本絵画 2023年8月3日初版発行
ISBN978-4-499-23374-3 C0076
・軍用機メカシリーズ10
「メッサーシュミットBf109/フォッケ・ウルフFw190」
雑誌「丸」編集部 株式会社光人社 1994年5月18日
ISBN4-7698-0680-9 c0372
◆ 参考資料
「零戦」の誕生に貢献した外国技術5選(乗り物ニュース)
2020.03.18 柘植優介(乗りものライター)













































