漫画評論界の大御所を批判する

 小説や映画などのメディアから大きな影響を受け、それがその後の本人の人生をも左右することになる、というのは、よく聞く話である。
 実は、蜀犬にも自分の人生に大きく関わったと言える作品がある。昔々、大学受験に失敗し、滑り止めに入った大学で鬱々とした日を送っていた頃である。偶然、書店である作品を手にしたのであるが、その内容に衝撃を受けると同時に、夢を目指す主人公たちの姿に発奮したのである。以後、大学生活と受験生という2足のワラジを履いて1学年を過ごし、翌年無事に希望の大学に入ることが出来た。
 さらに、その大学での就職活動で、企業への推薦をもらえたことから、子供の頃から夢見ていた仕事にも就けたのである。
 もし、あのまま滑り止めの大学を卒業していたら、現在とは全く別の人生を送ったことは間違いないだろう。まさに人生の転機となった作品と言える。

 その作品とは、劇画『野望の王国』(原作:雁谷哲、作画:由起賢二)である。現役東大生が暴力によって日本の支配を目指して暴力団に入り、血みどろの抗争を繰り広げるというバイオレンス満載の作品である。

 特に、度肝を抜かれたのは、敵対する暴力団の支援のためにやって来た50人の暴力団員を始末するエピソードである。敵対する大吉会の藤森会長が日本最大の暴力団・花岡組から派遣された50人の助っ人暴力団員たちが新幹線で移動中、ニセ警官を使って途中下車させ、その後、取り壊し予定の倉庫に連れ込んだ後、配下の組員を使って、拉致した全員を拳銃でハチの巣にして銃殺。
 犯行に使った拳銃は、拉致に使用したトラックごとスクラップ工場に運んで潰して鉄のブロックにした後、溶鉱炉で熔解して、物的証拠を完全に隠滅した。一方、殺しに関わった配下の組員については、事前に数年がかりで能力を選別したうえ、常時4人1チームで行動する相互監視方式で裏切りを防ぐという厳密な統制方法を採用している。

 一般の推理ドラマでは、わずか数人を殺し、トリックを駆使してアリバイ作りに腐心するということを考えると、その犯行の手口の大胆さと想像の斜め上を行く証拠隠滅法には、度肝を抜かれてしまう。

 また、自分たちの息のかかった国会議員を作るため、陰で対立候補のスキャンダルをでっち上げて潰したり、財界が支援する首相候補を潰すため、銀行の取引データを全て消去して、銀行の取り付け騒ぎを引き起こして、財界首脳を逆に恐喝するなど、極めて大規模かつリアルなものであった。

 ただし、主人公たちは何のためらいもなく暴力を行使している訳ではなく、自らの野望実現のために肉親を斬らねばならないという葛藤をかかえており、野望と肉親の情との板挟みに悩む姿が作品のもうひとつの魅力となっている。

 なお、この作品の概要については、Wikipedia( 野望の王国 - Wikipedia  )にも掲載されているが、その内容が内容だけに、正当に評価されているとは言えないようだ。
 特にウィキペディアに載っている漫画評論界の大御所・呉智英氏の本作品に対する評価は問題である。

 呉智英氏といえば、漫画評論家にして、京都精華大学マンガ学部客員教授日本マンガ学会二代目会長で現在は理事、さらに、「京都国際マンガミュージアム」の研究顧問という肩書を持ち、言わば日本を代表する漫画評論家である。

 この日本を代表する漫画評論家である呉智英氏の『野望の王国』に対する評論を詳細に分析すると、おそらく第1巻をパラパラめくって流し読みして書かれたモノと考えられる。
 いくら、持論が「一を読み、十を知り、百を語るべき」であっても、仮にも作品を評論する以上、最低限、作品を通読して、内容を理解したうえで評論する、というのが礼儀ではないだろうか?
 例えば、大河作品のプロローグとエピローグだけ読んで、作品全体を想像(妄想)に基づいて批評するなどというのは、批評という行為以前に、してはならないことのはずである。

 では、なぜ、そのように断言できるのか?
 
 その論拠は、呉智英氏の評論そのものである。劇画『野望の王国』を全巻通読して、まともに内容を理解できていれば、誰でも呉氏の評論に対して、首を傾げるはずである。

 そこで、蜀犬吠日の故事に倣って、今回は漫画評論界の大御所・呉智英センセイに向かって吠えてみたい。

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※ ネタばれを含んでおり、劇画『野望の王国』を未読の方はご注意ください。

※ 本論考では、劇画「野望の王国」を全14巻にまとめた愛蔵版を使用する。本論での巻番号及び、ページは、愛蔵版のものである。


Wikipedia によれば、

となっている。

 Wikipediaで引用された文章は呉氏が、「呉智英×斎藤宣彦×中野晴行 厳選の「馬鹿<バロック>漫画24冊」の中で、論評したものであるが、引用部分を改め抜き出すと、以下のようのなる。

>二人の青年が日本を制覇しようと覚悟するところから話がはじまるが、その方法が
>ものすごく遠い!
>主人公格の二人が日本制覇の野望を抱きながらなぜか川崎市の征服に固執する点、
>その野望のために肉親を殺害し、戦時並みに街を焦土と化し数千人近い死傷者を出
>す点、東大法学部を優秀な成績で卒業するほどの知力を有しながら政治家や官僚に
>はならず暴力に固執する点
>など、あまりの効率の悪さが本作の魅力とし[3]、
>普通なら政治家、官僚を目指すのが確実だと思うが、彼らはヤクザを目指した!
>何人殺しても進まない日本制覇。
>このペースでは日本制覇するのに300年はかかるだろう。
>まさにバロック

 いったいどこをどう読めば、ここまで誤読できるのか、理解に苦しむが、ひとつずつ反論していきたい。


【1】 東大法学部を優秀な成績で卒業するほどの知力を有しながら政治家や官僚にはならず暴力に固執する点

 まず、はじめに断っておくが、主人公・橘征五郎の卒業式のシーンが描かれているのは、最終巻の第14巻である。
 卒業云々ということは、呉氏は「野望の王国」を全巻読んでいることになるのだが・・・・・。

【橘征五郎:野望の王国第1巻】

 主人公・橘征五郎がなぜ、政治家や官僚にならずに暴力に固執するのかについては、第一巻で明確に語られている。


>征五郎 「征二郎兄さん、ぼくにやらせて下さい」

>征二郎 「なにいっ お前がだとっ・・・
>    お前が、インテリのかたぎのお前がヤクザの争いにくわわるってのか!?」

>征五郎 「そうです・・・」

>征二郎 「征五郎、お前頭がどうかしたんじゃねえのか・・・
>     東大法学部きっての秀才のエリートのお前が、何血迷って俺たちヤクザの
>    世界に首つっこもうってんだ」

>征五郎 「征二郎兄さん、ヤクザの妾の息子がどうしてエリートなんです!?
>    そんなこと本気で言ってるんですかっ!

>征二郎 「う、うう・・・しかし、お前」

>征五郎 「いくら東大で一番だから、法学部で一番だからといって、ヤクザの妾の息
>    子をエリート支配階級に入れるほど日本の社会は甘くはない!
>     身上調査をされれば官庁にも大企業にも絶対に入れはしない!」

野望の王国 第1巻 P119~P120)

 

 橘兄弟の父親である橘征蔵は、神奈川県内最大の暴力団・橘組の組長だったが、暴力団組長というより、昔風のヤクザの大親分といった気風の人物だった。  
 征蔵には、本妻の他に2人も愛人(妾)がいて、それぞれに子供を生ませていたのだが、昔堅気の征蔵は愛人の子どもたちを認知して籍に入れ、幼い頃から自分の手元において育てていたのである。

 

【橘家 家系図

 もちろん、昔気質の征蔵らしい配慮であったが、結果的に征五郎は幼い頃から年長の兄姉とその取り巻きたちからイジメられるという最悪の環境で育つことになったのである。

【征五郎の少年時代:野望の王国第12巻】

 さらに、父親の配慮ゆえに、日本の社会構造の上流に位置できない宿命を背負うことになってしまったのである。


 2010年代の話であるが、ある設備工事会社が防衛庁の作業を受注し、規定に従って作業員名簿を提出したところ、人望のある年配の作業員だけ、なぜか許可が下りなかった、という話がある。その後、その年配の作業員は、若い頃、学生運動に関わっていたため、公安関係者からマークされ、要注意人物のリストに名前が記載されていた、という噂が流れ、後にその作業員は退職したとのことである。

 21世紀の現在でさえ、こういった時折聞こえる噂話を考えれば、1970年代の日本での征五郎の分析は極めて正確であると言えるだろう。

 一方、『野望の王国』のもうひとりの主人公とも言える征五郎の盟友・片岡仁についてはどうだろうか?

 なぜ、エリートの道を捨てて橘組に入ったのか?と、恋人の文子に聞かれて片岡が次の様に答えている。

>文子 「片岡さんが何故橘組の中に入っているのか私にはどうしても分からないわ
>    片岡さんなら大蔵省の官僚にでも大学教授にでも超一流会社の幹部社員にで
>   もなんにでもなれるのに・・・ 」

>片岡 「なろうと思ったらなれるだろうね。
>    東大法科を十番以内の成績で卒業すれば今の日本では最高の地位にかけあが
>           ることが約束されている。
>   ぼくの同級生もみなそんなことを考えている
>   大蔵省をはじめとするエリート官僚になるか、超一流会社の幹部社員になる
>           か・・・
>   みんなそのために”優”の数を集めるのに懸命だ。
>    そんな奴らはクソだ」

>文子 「まあ、そんな・・・」

>片岡 「だって、そう思わないか
>    連中は今の社会の仕組みに完全に満足しきっているんだ
>   何が高級官僚だ! 超一流会社の幹部社員だっ!!
>   老人どもの作った汚らわしい社会の仕組みを有難くおしいただき、老人ども
>           の投げてくれるエサに尻尾を振り老人どもの言いなりになる。
>   それ以外の何ものでもないじゃないか!!
>   老人どもの権威にへつらい、老人どもの気に入るように働き、ようやく出世
>           して高級官僚や会社の役員になった時には、自分自身も汚らわしい老人にな
>           っているという訳だ。
>   そんな人生がいったいなんなのだ」

>文子 「・・・・・・・・」

 ここで、片岡は、高級官僚だった父親が疑獄事件に巻き込まれて逮捕されたことを文子に話す。東京地検は、真の黒幕は大蔵省上層部の人間と政治家だということを知っており、捜査の糸口を掴むための第一段階として片岡の父親を逮捕したのである。

【逮捕される片岡の父親:野望の王国 第13巻】

 ところが、片岡の父親は、拘置所内で自殺を装って謀殺され、最終的にすべては父親が独断で行ってこととして、事件は終息してしまったのである。


>片岡 「その政治家も政商も親父の上司だった男もまだ生きているよ。
>     のうのうと脂ぎってね! その連中が今の日本の支配者なんだ。
>     日本の社会の仕組みを作り上げた連中なんだ!
>     僕はそんな連中を倒したい!
>     だが高級官僚だの幹部社員だのといった道を辿ったら奴らを倒す力を自分
>     のものにできるはずがない!
>     奴らの作った社会の仕組みに飲み込まれるだけじゃないか!」
>                                       (野望の王国 13巻  P232~P240)


 『野望の王国』の舞台は1970年代であるが、それから半世紀後に、『森友学園問題』土地の払い下げを巡って財務省の職員が自殺する事件が起きている。そのことからも、『野望の王国』のストーリーは決して荒唐無稽な話とは言えないのである。


 さて、正統派社会ドラマでは、父の無念を晴らすために、息子や娘が検事や新聞記者になって真実を追求する、というのがパターンであるが、敵となる巨悪は、そもそも拘置所内で自殺に見せかけて謀殺できるほどの権力を持っているのである。
 仮に検事や新聞記者になったところで、地方へ左遷されたり、交通事故に見せかけて殺されるという流れも十分に予測できることである。
 実際、『野望の王国』の中でも、東大の同窓ということで高級官僚を呼び出し、橘組組長と面会させる段取りをつけた新聞社の編集長が、その後交通事故に遭って殺される(第12巻)、というシーンがある。
 だからこそ、自前の暴力を行使できる暴力団に入った、という片岡の立場も十分な説得力を持っていると言えるのではないだろうか。

 呉智英氏は、主人公たちはなぜ政治家や官僚を目指さないのか?と、疑問を発しているが、一度でも、「野望の王国」を読めば、呉氏の疑問は、単なる能天気な愚問に過ぎないことが理解できるはずである。

 ここで再度問うが、呉氏は、本当に全巻、通読したうえで、批判しているのであろうか?

 さらに、暴力で日本支配をめざす主人公たちに対して、呉氏は政治家や官僚になる道を勧めているが、実は、呉氏推奨の方法には致命的な弱点がある。

 選挙で当選して地道に実績を重ねて数十年がかりで、政治家の頂点ともいえる総理大臣になったり、激烈な出世競争を勝ち上がって官僚トップになれたとしても、せいぜい影響力を行使できる、という程度ものである。
 もっとも、それでも無力な一般国民からみれば圧倒的なパワー(権力)と言えるが、だからと言って、反対派を抹殺(文字通りこの世から)するといった無制限の暴力を行使できるわけではない。
 さらに、首相、政務次官には任期があり、本人が死ぬまで権力を維持することは不可能である。2018年、中華人民共和国習近平主席は憲法改正で任期を事実上なくしたが、物語の舞台となった1970年代の日本どころか現代でも、そのようなことは論外だろう。

 以上のように、健全な社会的常識を働かせれば、呉氏が勧める方法では、主人公の目標達成が不可能なのは明らかである。呉氏は劇画『野望の王国』の主人公たちの行動原理を嗤いモノにしたいのかもしれないが、逆に自らが嗤い者になったということである。


【2】その野望のために肉親を殺害し、戦時並みに街を焦土と化し数千人近い死傷者を出す点


 呉氏のこの評論が意図的かどうかは不明であるが、実はこの評論には2つの事件をまとめて語っているので注意が必要である。

 父・征蔵の通夜の夜、征五郎は殺し屋を使って長男・征一郎を殺害し、さらに、征蔵・征一郎合同の葬儀で三男・征三郎を3人の殺し屋を使って暗殺した。
 さらにその後、新組長となった次男・征二郎と四男・征四郎の共倒れを画策したことで、橘組の内部抗争が勃発する。

 征二郎は、在日米軍内のマフィア(在日米軍の士官が、実はマフィアの幹部でもあり、米軍の力を犯罪に利用できる、という設定になっている)の力を使って、征四郎派の殲滅に乗り出すのだが、征四郎派の各事務所を火炎放射器を持った部隊が次々と襲撃していき、最後には、ヘリコプターが征四郎邸の上空からガソリンを撒いたところに、爆弾を投下し、征四郎とその家族、一緒にいた子分ともども焼き殺すという凄まじさである。

 翌日のニュースでアナウンサーが絶叫しているシーンが描かれている。

 

【事件を伝えるアナウンサー:野望の王国 第2巻】


>昨夜川崎市内で起きた連続殺人放火事件のあまりのすさまじさに川崎市民は大きな
>衝撃を受けています。
>今のところ、暴力団橘組の内部抗争によるものと見られていますが、かつてこれほ
>ど徹底的で残虐なやり方は例がなく、市民は恐怖のドン底に叩き込まれております!

>実に十数か所が焼き払われ、二百人以上の組員が殺害され、橘征四郎以下十数名の
>幹部が行方不明となっております!

野望の王国 第2巻 P117)

 さて、洪水などの自然災害では、最初の死者数が少なく行方不明者数が死者数に変わっていくのが一般的であるが、ある程度人数が把握できる暴力団の抗争事件なので、確実な数字は「二百人以上」であり、行方不明の十数名の幹部を入れても、総死者数は、250人程度、というのが確実なところだろう。

 また、征四郎邸をはじめ、征四郎派の事務所が襲撃され、焼き払われているが、あくまでも一軒の火災であり、街一区画が全焼したシーンはどこにも描かれていない。
 呉氏が述べた「死傷者数千人」などと言う数字は本編のどこにも明示されていないのである。
 呉氏は本当に「野望の王国」を読んだのであろうか?

 

【3】 日本制覇の野望を抱きながらなぜか川崎市の征服に固執する点


 征二郎組長は川崎中央署の新署長・柿崎憲に逮捕されたものの、神奈川県警本部長、神奈川県公安委員長、地元選出の国会議員の圧力により、誤認逮捕として即日釈放されている。
 その際、原木代議士は柿崎署長を土下座させたうえで、

>「この川崎で最大の力を持つ者が誰なのか思い知ったことでしょうて!」

と大見栄を切っている。(野望の王国 第2巻P193)

 このシーンは、川崎の征服に固執するどころか、すでに橘組が川崎市を完全に掌握していることを示していることに他ならない。

 また、犯罪者となった元署長・柿崎の逃亡を手助けした逃がし屋組織のボスと片岡との会話では


>ボス 「日本は法治国家ではなかったのですかな!
>        我々に対してあなたがたが今していることは、極めて凶悪な犯罪行為ですぞ!
>        船を止め、勝手に乗り込み、船内を荒らし回り重要書類を写真にとり、その
>   上に今度は脅迫ときた!」

>片岡 「法だとっ!その通り日本は法によって治められている!ただしこの川崎は我
>           々橘組の法によってだっ!」

と、片岡は逃がし屋組織のボスを恫喝している。(第8巻 P181)

【片岡と逃がしや組織のボス:野望の王国 第8巻】



さらに作中では、

 ・ 敵対する大吉会が助っ人に呼んだ花岡組の組員50人を小田原市内で殺害(第1巻)

 ・ 東大助教授に自分たちの力を見せつけるため、東大の時計塔を 爆 破(第2巻)

・ 政治力を確保するため地元の国会議員を拉致暗殺(第2巻)

 ・ 逮捕された征二郎組長を救出する陽動作戦として、川崎駅騒乱、川崎競馬場襲撃を
      実行(第5巻)

 ・ 帝国館大学(おそらく、都内)の主賓に招かれていた右翼の大ボス小田を襲撃
   (第5巻)

 ・ 右翼の大ボス小田を暗殺するため東大病院を爆破(第6巻)

 ・ 日本最大の暴力団 花岡組の組長を京都で爆殺(第9巻)

 ・ 民自党の各派閥の領袖が集まった都内赤坂にある料亭白水を迫撃砲で攻撃(第9巻)

 ・ ニセ警官を使って都内(赤坂)で日本最大の黒幕を襲撃。(第12巻)

と、神奈川県内外で数多くの事件を引き起こしている。事件の舞台が川崎市になっている話はあるものの、川崎市征服の話はどこにも描かれていない。


 一方、「野望の王国」における敵役・川崎中央署署長・柿崎憲は、征五郎と片岡に向かって自らの野望を語っている。


>いいか良く聞けっ!
>おれが警察庁に入ったのは日本の警察を動かす力を持つためだ!
>日本は警察国家だ!
>警察こそは日本最大の暴力機構だ!
>おれはその警察を乗っ取るのだっ!

野望の王国 第2巻 P174)


>この世を支配するのは暴力だっ!
>暴力が全てだっ!
>日本の表世界の暴力機構が警察なら
>裏世界のそれは暴力団だっ!
>表裏二つの暴力機構を握れば巨大な権力をつかむことができるっ!

野望の王国 第2巻 P175)

 

【柿崎署長の野望:野望の王国 第2巻】

 国家公務員上級試験にパスしたエリート警察官僚である柿崎署長にとって、川崎中央署に赴任したことは、次の大抜擢のための単なる腰かけ先に過ぎなかったのだが、橘征二郎組長に屈辱を味わされたことから、征二郎組長逮捕に異常な情熱を注ぐことになるのである。
 その際、政界に大きな力を持つ右翼のボスに接近したり、政権与党の派閥を率いる大物政治家に取り入ったりと、官界における自らの地位の強化を図っている。柿崎署長についても別に川崎市の支配に固執している描写はない。川崎市の征服に固執云々は呉氏の完全な誤読・誤解といってよいだろう。
 再度、改めて問いたい。本当に呉智英氏は『野望の王国』を読んだのだろうか?

 

【4】 このペースでは日本制覇するのに300年はかかるだろう

※:ここからラストのネタばれ含む

 壮大なテーマを描いた漫画や小説などの作品が、スタートこそ順調だったものの、出版スケジュール等の遅れにより、物語が中途半端な形で打ち切りになってしまった、というのは、よくある話である。
 では、『野望の王国』はどうだろうか?

野望の王国』第1巻の冒頭ではアメフトの試合シーンで始まるのだが、その中でアナウンサーが


>三年前まで全く弱かった東大チームが突然強くなり、関東大学リーグで優勝し、今
>またこうしてオールアメリカ大学選抜チームと互角に闘えるのも、クォーターバッ
>クの片岡仁君とラインメンの橘君の二人の力によるものです!

((野望の王国 第1巻P005)

と語っていることから、物語開始時点で、征五郎、片岡は、大学3年生後半と推定される。

野望の王国プロローグ:野望の王国 第1巻】

 一方、最終巻で卒業式のシーンが描かれていることから、約5年間に渡って連載された全14巻(愛蔵版)の物語は、実質1年半程度の出来事なのである。

 クライマックスの死闘のシーンのあと、エピローグに相当する部分では、現役の総理大臣を恫喝し、さらに、卒業式では、首相や大臣をはじめ与党の大物政治家たちが卒業の祝福に駆けつけるシーンが描かれている。


>浜岡首相  「どうかお慈悲を・・・」

>征五郎  「許してやろう
>                しかし忘れるな!
>                今日から以降お前たちはおれに使える下僕であることをっ!
>                おまえたちはおれの操り人形となっておれの意のままに国政を動かす
>                のだ!」

>浜岡首相   「は、はあっ!ありがとうございますっ!
>             命を捨てて組長のために働かせていただきますっ!」

(野望の王国 第14巻 P401)


>さて、浜岡の顔も見あきたな・・・
>次は誰を総理大臣に仕立ててやろうか・・・
>ふ、全ての権力我にありか・・・

野望の王国 第14巻 P401)

【浜岡首相を恫喝する征五郎:野望の王国 第14巻】


>浜岡首相    「ご卒業おめでとうございます!」

>閣僚  「内閣閣僚をはじめ民自党幹部一同お祝いに参上しました!
>              ご卒業おめでとうございました!」

>征五郎 「うむ」

  (野望の王国 第14巻P403)

【東大卒業式:野望の王国 第14巻】

 これらのシーンから、彼らは1年半程度で日本の政治に大きな影響を与える地位=日本制覇を達成したことが容易に読み取れる。これは呉氏の300年の想定の200分の1の期間である。

 そもそも『野望の王国』全巻を通読していれば、このことは誰でも明確に判るはずであり、呉氏が論評した日本制覇に300年云々などと言う話はまったく出て来ないはずである。
 と、いうことは、呉氏は、実は『野望の王国』をまともに通読すらしていないと考えざるを得ないのである。

 

【5】  呉智英批判まとめ


 以上、漫画評論界の大御所・呉智明氏の『野望の王国』批判について分析してきたが、まとめると以下のようになる。


批判 1. 政治家や官僚にならずに暴力に固執する点
 主人公たちが生まれ育った環境等を考えれば、十分に納得でき、批判は難癖である。
また呉氏推奨の政治家や官僚になるという方法では、一時的に権力は握れても、死ぬまで維持することは不可能である。


批判 2. 街を焦土化して数千人近い死傷者を出す点
作品の中にそのような描写は一切なく、意図的に誤解を生む表現である。


批判 3. 川崎市の征服に固執する点
 作品の中にそのような描写は一切なく、橘組が川崎市を裏面からガッチリと支配している様子が明確に描写されている。
 もし、呉氏が、「川崎市の征服に固執」していると誤読したのであれば、漫画の読解力に重大な問題があると言わざるを得ない。


批判 4. 日本制覇に300年はかかる?
 第1巻冒頭のアメフトのシーンから最終巻の卒業式のシーンまで作品を通読すれば、大学3年後半から卒業までの約1年半程度物語であることは容易に理解できるはずである。つまり、「日本制覇に300年かかる」という主張自体が、作品を通読すらしていないという証拠と言ってもよい。

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 以上、考察から判るように、漫画評論界の大御所・呉智英氏の『野望の王国』評論はすべて間違っており、呉氏がまともに本作品を読んで評価したのかどうか、怪しいと言える。

 さらに言えば、論評した一作品がデタラメな評論であったということは、その他の漫画作品に対する論評は正しいのか?という、より重大な疑問が生じることになる。

 呉智英氏のその持論は、「一を読み、十を知り、百を語るべき」だそうである。しかし、漫画評論界の大御所という看板を錦の御旗にして、作品を通読すらせず不当に評論する、という態度は、創作のために日夜苦闘している作家としてもたまったものではないし、漫画業界の健全な発展を阻害しかねない極めて悪質なものである。

 呉智英氏のその他の評論についても、今一度、再検証が必要ではないだろうか。


  【参考文献】
野望の王国 愛蔵版 第1巻(ISBN4-537-03171-9 )
野望の王国 愛蔵版 第2巻(ISBN4-537-03117-8 )
野望の王国 愛蔵版 第3巻(ISBN4-537-03183-2 )
野望の王国 愛蔵版 第4巻(ISBN4-537-03190-5 )
野望の王国 愛蔵版 第5巻(ISBN4-537-03196-4 )
野望の王国 愛蔵版 第6巻(ISBN4-537-03201-4)
野望の王国 愛蔵版 第7巻(ISBN4-537-03209-X)
野望の王国 愛蔵版 第8巻(ISBN4-537-03215-4)
野望の王国 愛蔵版 第9巻(ISBN4-537-03221-9)
野望の王国 愛蔵版 第10巻(ISBN4-537-03225-1)
野望の王国 愛蔵版 第11巻(ISBN4-537-03231-6)
野望の王国 愛蔵版 第12巻(ISBN4-537-03236-7)
野望の王国 愛蔵版 第13巻(ISBN4-537-03534-X)
野望の王国 愛蔵版 第14巻(ISBN4-537-03539-0)